「マツケンサンバ」にみる松平健の一極アイドル性に関する一考察

以下は、松平健さんによる平成のヒットソング「マツケンサンバ」のメドレー。この記事はそれに対するエンタメ性の一考察である。

 

 

読者の中にはもしかしたら、「私の知ってるマツケンサンバって二楽章だったんだ」と驚かれた方もいるだろう。何を隠そう私もその一人だ。作曲家は異なれど、“マツケン”のブランドに合わせて一貫したシリーズが作られている。ヒットソングでありながら、擬似的に楽曲の体をなしているのだ。

このメドレーで注目すべきは、3曲を通した編成と演出構成である。

 

ディスコティックなダンスチューン「マツケンサンバ I」

ポストバブル時代のラテンミュージック

1992年作曲の第一楽章「マツケンサンバ I」は、ディスコミュージックよろしく、回転系のギターから始まる。一方でサビに耳を傾けてみると、マンボを意識したような「っウーッ!」が取り入れている。

ダンスチューンとラテンの王道文化が現代で交わる、80年代の残滓を帯びたディスコティックマンボの集大成だ。バブルが崩壊した翌年のリリースという事情を鑑みても、在りし日の記憶が目に浮かぶ。

こう考えるとなかなか面白い意図が垣間見えてくるのではないだろうか。

 

この場面、マツケンさんは普通の歌を歌うときの発生と「っウーッ!」の発生を完璧に使い分けている。半拍程度しかないごく短いスパンでだ。これぞ知られざる松平健のプロイズムである。

 

マツケンカーニバルへと誘う集団舞踏

また、私が最初に抱いた印象は、“ダンサー多っ”だ。

前段14人、後段15人がおよそ10秒の間に登場する。マツケンさんを含め30人の構成は、よくできていると言わざるを得ない。きらびやかな衣装に、目まぐるしく転換するポジション……。この輝かしい舞台演出は、我らが第二楽章を前にした、文字通りの序章である。

マツケンカーニバルは始まったばかりなのだ。

 

豪華絢爛 めくるめくラテンミュージック「マツケンサンバ II」

ジャパニーズラテンの傑作

1994年に作曲された曲だが、シングルカットされたのは2004年。私が10際の誕生日を迎えた頃、我らが「マツケンサンバ II」は広い世界へ放たれたのだ。“音楽ダウンロード元年”とされるこの年になぜ、とも思いがちだが、マツケンのコアユーザーは依然としてCDを厚く信頼していたに違いない。

作曲は、夕方クインテットのアキラさんこと宮川彬良 氏。生まれてきてくれてありがとうというレベルの名曲だ。吹奏楽版 宝島を彷彿とさせる、“等拍が好きな日本人がラテンをやったらこうなった”の傑作といった、耳馴染みのいいラテンフィーチャーポップである。

思う存分我らがマツケンサンバを楽しんだところで恐縮だが、音楽/ダンス界隈では曲調をして「マツケンサルサである」という言説も多く聞かれる。キューバとブラジルくらい違うのだ、と。まぁ素人にとってはラテン=サンバくらいの認識でもいいと思うし、私もそれくらいでいい。

 

昭和から地続きになった日本エンタメ的演出

動画にて構成について注目してみると、また違った見方ができるかもしれない。

一楽章の終わりからマツケンさんがソロダンス、ダンサーが衣装チェンジを終えて華々しく登場し、長めのイントロと共にマツケンさんが再登場する構成だ。おそらくメドレーアレンジとは思うが、カーニバルの到来を実感させる良い間と言えよう。

希少なタレント性を前面に押し出し、バックバンドで盛大に支える。昭和のテレビ業界から脈々と続く日本のエンタメ性が集約された、時代を切り取ったような貴重映像だと言えよう。

この図式は、故 志村けん氏が『志村けんのバカ殿様』において、裸の女の人の上を滑っていた時代を彷彿とさせる。昭和エンターテイメントの倫理観を問いたいわけではない。あるタレントを演出する上で、数多くのバーターを用意する様は、昭和のエンタメを語る上で象徴的な役割を持つのだろう。

 

祭りの後の憂愁 「マツケンサンバ III」

政治的意図から生まれたカーニバルの残響

第三楽章に関しては、正直申し上げてあまり好きではない。

第二楽章のメガヒットを受けて2005年にリリースされた楽曲だが、リズムパターン・リリックを取ってみてもほとんど進歩が見られない、中間企業の政治的意図で生まれた産物としか感じられない。惰性と言っては難だが、残念なことにマツケン・カーニバルは続かなかったのだ。

(もっとも、こういった政治的事情を加味した上で失敗はしていない。その点はさすがの一流ブランド、マツケンだ。)

 

第二楽章と同じラテン風ポップで、涼しげでちょっと物悲しい香りを持った、いっそうサルサらしい仕上がりになっている。悲しいかな、これ以上言及するだけのラテン的予備知識と本作への興味を持ち合わせていない。悲しい。

 

ヒットアゲインに賭けた舞台演出

Wikipedia等でも触れているが、特筆すべきはダンスや演出である。

例の如く、冒頭には男性ダンサーによる繋ぎが配置されている。ジタバタダンスをしながらも等速で続けられるバンザイの振り付け。わかりづらい振りなのにエネルギーが伝わってくる。このダンサー、並々ならない人物であることは間違いない。

マツケンさんはというと、ごくわずかにだが疲労の色が滲んでくる。前作より長めのダンスパートに加え、声量は必要ないまでも技術を要する歌。体力もさることながら気力が目減りしているようだ。

とはいえ決して舞台としては台無しになっていない。華麗なターンを二度もする場面は、プロのタレントであることをうかがわせる。先ほどの二枚目ダンサーを従える形で、一枚目俳優 松平健の魅力をギュッと結集させたようなダンスパートだ。

どれほど“前のマツケンサンバの焼き直し”っぽくたって、どれほどマツケンが疲れていたって、うがった見方をしなければ遜色というほどの見取りはしないだろう。

第三楽章こそ、マツケンさんのアイドル性を前面に押し出した完成系なのかもしれない。

 

あとがき:マツケンカーニバルの後で。

ちなみに私は昭和のエンタメについて何も知らない。書生のような見識でありながら、さも勝手知ったる音楽文筆家であるかのように繕っているだけだ。オーレッ!

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はらだなう

Webメディア作る人. 編集と書き物、マーケティング. 映画のブログ『週末は映画とおいしいもの。(https://nowinthemovie.com/)』を運営中. 最初はながら見して、好きな作品は何度も見るタイプ. シンゴジラ10周目.

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